2015年03月05日

ジョジョの奇妙な冒険 第三部 #32「「セト神」のアレッシー その1」


おことわり)
アニメ「ジョジョの奇妙な冒険」 のレビューは
「原作準拠」の検証の意味も込め、コミックとの比較をするスタンスで書いています。
往々にして揚げ足取りの文章となるため
ファンの方には、しばしば不愉快な思いをさせることがあると思いますが、
筆者は決して悪意を持ってはいないことをご理解の上読み進めていただけると幸いです。

また、検証・認識の甘さから、的はずれなことを書くかもしれません。
その場合は、遠慮なくご指摘ください。



コミックス 22巻03章終盤〜06章序盤までに該当。

jojo-SC_32a.jpg
バーボンソーダ、朝っぱらから見事な飲みっぷりでございますわね奥様
(バーボンソーダってのにバブルを感じてしまうwww

jojo-SC_32b.gif
子供は無邪気でいいよなぁ・・・ 

ままごとの内容がまったく無邪気じゃないが
意味もわからず大人の真似をしているところは微笑ましい。

子供時代に思慕の情を巡らせる。ここまで今回の前置きね。

jojo-SC_32c.gif
さて、原作ではホテル前のなんと車道で行われていたこの泥遊び。
本作では、不自然だと考えられたのか

jojo-SC_32d.jpg
ホテルと川の間に車道はなく、似た立地の泥地になっている。

「車道で遊ぶと危険」とか考えもしないところが
また子供が無邪気である表現のひとつだっただろうし、

ひょっとすると、一流ホテルのエントランス前の道であろうと
この時代のエジプトでは舗装されていないのが普通だったという、
文化風俗の描写の意味合いも含んでいたかもしれないと考えると
この改変は適当ではない。

jojo-SC_32e.jpg
歩道がタイル貼りになっているのにも関わらず車道が未舗装である様子は
アニメでも描写されている。

また、アレッシーが影から承太郎たちの動向を窺っていたことにも、
アニメのこの立地はいささか相応しくなく
車が通行する大きな通りの方が自然だったようにも思う。


jojo-SC_32f.jpg
そう、そのアレッシー。
「セト神」の暗示を持つスタンド使い。

ズボンに泥を引っ掛けた少年を、原作では
jojo-SC_32g.gif
一発殴った後に、ままごと道具を蹴り飛ばした、
もしくは殴って泥の水たまりに落とした、かのような表現のところ、
アニメでは結構なホンイキで二発ぶん殴っている。

どっちもどっちだが、
アニメのほうが、より陰湿で大人げない性格を強調しているようだ。

いやらしいキャラはいやらしさをより強調。これは大歓迎です。



今回は原作でたった3話のエピソードを2回に分けているので
時間がたっぷりある。
そのため、ジョセフとアヴドゥルを探しにホテルの部屋まで来るなど、
原作にないシーンが多数追加されている。

jojo-SC_32h.jpg
確かに順序からいえば、まず部屋に向かうのは自然なことだ。

しかし、
川向うに王家の谷を望むルクソールのホテルならば、

jojo-SC_32i.jpg (←参考)
窓の位置から判断して「南向きに寝たのに北枕うんぬん〜」は正しいが
川に面した窓から、朝9時の日差しが差し込むことはない。

すなわち、原作のわずかな方角描写は正しかったが
アニメでの地理検証は、杜撰だと言わざるを得ない。
(番組に登場する場所や名称は実在のものとは関係ないそうだが…

まったく、くだらないことに気付くものだと、自分でも思う。



「ついて来い」と言われたのに、
気ままに自力で食料を調達に出かけたイギーは、これまたアニメオリジナル。

jojo-SC_32j.jpg
しかも、マライアを挟んで戦闘中のジョセフとアヴドゥルを見かけても
興味なさそうにあっさりと去る描写つきだ。

これは二人の勝利を確信しているから手を出さなかったのでは決してなく
本当に興味ない、巻き込まれたくないのだと思う。

いつも一行と一緒に行動しているよりも、
イギーらしい行動が追加されているのは好ましい。

ただ、
この戦いが行われている通りは環状の「必ずまわり戻る道」だったはずなので、
結構広い横道からイギーが出てきたことには違和感を覚える。



ポルナレフに一合したスタンドを引っ込め
jojo-SC_32k.jpg すたこら逃げるアレッシー。

このシーン
逃げるアレッシーに、追うポルナレフが徐々に引き離される様子が
3DCGでマッピングされたであろう背景とともに
流れるように1カットで描写されている。これは地味にいい仕事。


アレッシーのスタンド能力で子供になってしまったポルナレフ。

脳をも含む肉体すべてが子供になるので、
「記憶」も子供の頃のものに戻ってしまうらしい。

jojo-SC_32l.jpg
そのため、直感的に自分を助けてくれそうに思う
まさに目の前にいる青年の名前が思い出せない。

実際、フランス人の子供に日本人の名前を覚えておけというのは難しそうだが
そういうことじゃあない。
肉体が単に若返ったのではなく、肉体の時間までが遡っているため
この8歳児の頃より現在までの記憶を失ったということだ。

jojo-SC_32m.jpg だとすると、
ついさっき出会ったアレッシーのことだって記憶していないだろうし、
大人の自分が子供になってしまっていると自覚することすらないはずなんだが

作中では「どんどん忘れていく」と言われているので
肉体は完全に8歳児になっているが、記憶は徐々に8歳児まで戻るということか。

なんだか、かなり釈然としないが
スタンドのすることなので、そういうものだと思うより仕方がない。


jojo-SC_32n.jpg
子供になら絶対負けないから、弱い者いじめ大好き。

まずこの性格ありきで、このスタンド能力が発現したのか、
「セト神」に目覚めたから、弱者をいたぶる快感を覚えたのか・・・
どっちにしても、安定のゲス野郎クオリティ。えらいネェ

jojo-SC_32o.gif
大人はこういうこと考えません。


jojo-SC_32p.jpg jojo-SC_32q.jpg
女性に保護され、ラッキースケベのポル少年。

jojo-SC_32r.jpg こういう表現は、
「この頃まだジョジョは少年マンガだったよなぁ」としみじみ思うね。

jojo-SC_32s.jpg モンキィドゥ!とかね。
この遊び知らんけど・・・ 子供は無邪気でいいよなぁ・・・ 


と、リラックスしまくっているところに

jojo-SC_32t.jpg ピンチ到来!以下つづく

次回:「セト神」のアレッシー その2


余談だが:

前から気になっていたんだが

jojo-SC_32u.jpg

エンディングクレジットの「背景線画」の担当者に
鬼窪浩久氏の名前がある。

鬼窪浩久氏といえば、原哲夫先生や荒木飛呂彦先生のアシスタントを経て
現在は青年誌などで活躍中の漫画家さんだ。

現在の氏がアニメ版ジョジョのためにわざわざ参加・・・
と考えると胸が熱くなるのだが、果たしてそうなのか?

これって、ひょっとして
原作漫画の背景をアニメでそのまま流用するため
当時背景を描いた鬼窪氏の名前がクレジットされているんじゃあないのか。

しかし漫画作品において、アシスタントが、著者や出版社を差し置いて
自分が担当した部分について、何がしかの権利を主張するなど聞いたこともない。
石川賢くらいになれば話は別とは思うが・・・背景だろ・・・?

どなたか事情に詳しい人がいたら教えて欲しい。

この記事へのコメント
背景線画といっても実際の線画というよりはイメージラフに近いものだと思うので、ソエジマ氏のラフコンテを元に、今のエンディングの背景のイメージボードのようなものを鬼窪先生に依頼したのかもしれませんね
クレジットにのるくらいですから、何らか関わっていらっしゃると思います(あくまで推測ですが…
Posted by タケ at 2015年03月05日 18:59
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/114666573
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック